日本の城郭浪漫:受け継がれてきた歴史と四季の彩りを訪ねて

日本各地の古城が持つ歴史的価値と、四季の絶景・イベントを深掘りする城郭専門ガイド。

「空角の経」に隠された名工の計略。現存天守・宇和島城で紐解く、藤堂高虎と伊達の美学

現存12天守の一つ、愛媛県「宇和島城」を徹底解説。築城の名手・藤堂高虎が仕掛けた不等辺五角形の縄張「空角の経」の謎から、伊達氏が再建した優美な御殿風天守の見どころ、城下町のグルメまで。お城好きなら一度は訪れたい、歴史と自然が息づく名城の魅力を綴ります。

五角形に隠された「不意打ち」の美学

愛媛県宇和島市。穏やかな宇和海を望む丘の上に、その城は静かに、しかし圧倒的な自尊心を持って鎮座しています。現存12天守の一つ、宇和島城。

白漆喰の壁に優美な唐破風(からはふ)を冠したその姿は、一見すると泰平の世を象徴する貴婦人のような佇まいです。しかし、その足元に広がる「縄張(設計)」に目を向けたとき、私たちはこの城を築いた男——築城の名手・藤堂高虎が仕掛けた、恐るべき軍事機密に直面することになります。

「空角(あきかど)の経」が惑わす死角

宇和島城の最大の特徴、それは全国的にも極めて珍しい「不等辺五角形」**の形をした城郭構造にあります。

通常、日本の城は防御の効率化から四角形(方形)を基本に設計されます。寄せ手(攻撃側)も当然、城は四角いものとして攻め寄せてきます。しかし、高虎はあえて一辺を突き出し、五角形にすることで、敵の計算を根底から狂わせました。

これを古文書では「空角の経(あきかどのきょう)」と呼びます。

  • 四角形と信じ込ませる心理戦: 敵が四方を取り囲んだつもりでも、実は「空白の一角」が存在する。
  • 不意打ちの死角: 攻撃側が死角だと思い込んでいた場所から、予想だにしない側面攻撃を受ける構造。

この五角形の等高線を歩いてみると、現代の私たちでさえ、今自分が城のどの面を向いているのか、ふと方向感覚を失うような奇妙な感覚に陥ります。

伊達の美意識と、高虎の戦術の融合

現在私たちが目にする天守は、寛文年間(1660年代)に伊達氏によって再建されたものです。高虎時代の質実剛健な下見板張りから、装飾豊かな白漆喰へと姿を変えましたが、その土台に眠る「五角形の縄張」という牙は、今もなお鋭く研ぎ澄まされたままです。

今回の『日本の城郭浪漫』では、この優美な「伊達の美学」に隠された、高虎流の「不意打ちの美学」を紐解いていきましょう。石垣の一角を曲がるたびに景色が変わる、迷宮のような攻城体験の始まりです。

建築の妙:伊達氏が塗り替えた、泰平の世の「御殿のような天守」

宇和島城の天守の前に立つと、多くの人がその「白さ」と「華やかさ」に目を奪われます。
現在私たちが目にする天守は、寛文12年(1672年)頃、伊達氏2代藩主・宗利によって再建されたものです。築城の名手・藤堂高虎が築いた当初の天守は、望楼型(ぼうろうがた)で黒い下見板張りの、実戦を想定した武骨な姿であったと推測されています。

しかし、伊達の世となり、戦火の記憶が薄れた泰平の時代。宇和島城は「戦うための砦」から「藩主の権威を象徴する御殿」へと、その性格を劇的に変容させました。

玄関に宿る「伊達」のプライド

まず注目すべきは、一重目(1階)の正面に堂々と構えられた「唐破風(からはふ)付きの玄関」です。
通常、天守の入り口は防衛上の理由から小さく、目立たない場所に配置されることが多いのですが、宇和島城は違います。城主が堂々と出入りすることを想定した、まるで御殿のような立派な玄関が、訪れる者を迎え入れます。この「見せる」意識こそが、伊達文化の真骨頂と言えるでしょう。

比翼入母屋造と装飾の意匠

三層三階の層塔型天守を見上げると、屋根の構成が非常に複雑であることに気づきます。
特に二重目の屋根には、二つの入母屋(いりもや)が並ぶ「比翼入母屋造(ひよくいりもやづくり)」が採用されています。この左右対称の広がりが、天守全体にどっしりとした安定感と、貴族的な優雅さを与えているのです。
さらに、屋根の頂部を飾る「懸魚(げぎょ)」や、窓の格子に至るまで、細部にわたる意匠の細やかさは、軍事施設というよりは一つの「工芸品」に近い完成度を誇っています。

内部に広がる「畳敷き」の想定

外観の優美さは、その内部にも続いています。
宇和島城天守の内部を歩くと、他の現存天守とは異なる「居心地の良さ」を感じるはずです。

  • 障子の多用: 採光のために多くの障子窓が配され、室内は驚くほど明るい。
  • 畳敷きの痕跡: 最上階には畳を敷くための段差や敷居の跡が残っています。

これは、この天守が単なる物見や貯蔵庫ではなく、藩主が実際にここで時を過ごし、景色を愛で、客人をもてなす「サロン」のような役割を果たしていたことを物語っています。板張りの冷たい「戦の城」ではなく、温かみのある「住まいの城」への脱皮。それこそが、伊達氏がこの地に刻んだ新しい城郭の形でした。

攻城の足跡:石垣の変遷と「植物群落」という生きた歴史

宇和島城の魅力は、天守そのものだけではありません。登城口から山頂の本丸へと続く道すがら、私たちの目の前に現れる「石垣」と、それを包み込む「森」こそが、この城が歩んできた数百年の歳月を雄弁に物語っています。

「高虎」から「伊達」へ、石の語り部

宇和島城の石垣を観察すると、積み方の違いが明確に分かれていることに気づきます。これは、築城の名手・藤堂高虎による創建時の遺構と、その後の伊達氏による大改修の跡が混在しているためです。

  • 野面積み(のづらづみ): 登城道の随所に見られる、自然石をそのまま積み上げた荒々しい石垣。これは高虎時代の面影を強く残しており、排水性に優れ、実戦本位の力強さを感じさせます。
  • 打込接(うちこみはぎ)・切込接(きりこみはぎ): 本丸付近や主要な門跡で見られる、石の角を加工して隙間を減らした精緻な石垣。伊達氏の時代、泰平の世において「見せる城」としての威信をかけて積み直されたものです。

特に、三之門跡付近で見られる石垣の曲線美(扇の勾配)は、防御力と造形美が高度に融合した、まさに石の芸術品と言えるでしょう。

国内屈指の「生きた博物館」

宇和島城が他の城郭と一線を画すのは、その豊かな植生にあります。驚くべきことに、この城山は江戸時代から大きな火災に見舞われることなく、当時の原生林がそのまま残されているのです。

  • 巨樹の息吹: 登城道を歩けば、樹齢数百年を数えるクスノキやカシの巨木が空を覆い、真夏でもひんやりとした静寂が漂います。
  • 多種多様な植物群: 城内には約400種もの植物が自生しており、国の天然記念物にも指定されるほどの学術的価値を誇ります。

石垣の隙間に根を張るシダ植物や、季節ごとに表情を変える木々。これらは単なる「背景」ではなく、城の一部として共に生きてきた「証人」です。人工物である石垣の硬質な美しさと、生命力あふれる緑のコントラスト。それこそが、宇和島城という空間が持つ独特の癒やしと神秘性の正体なのです。

街歩きと四季:城下町・宇和島に息づく伊達の文化

宇和島城の天守から城下を見下ろすと、かつてこの地を治めた宇和島伊達家の足跡が、今も街の随所に息づいていることに気づきます。城門を後にし、歴史の残り香を求めて歩を進めてみましょう。

天赦園:伊達の美意識が凝縮された「隠れ家」

城の南西に位置する「天赦園(てんしゃえん)」は、宇和島伊達家7代藩主・宗紀(春山)が隠居所として造営した大名庭園です。
「天赦」の名は、伊達政宗が詠んだ詩の一節に由来しており、園内には伊達家の家紋にちなんだ「竹」が数多く植えられています。

  • 四季の彩り: 春には藤棚が水面に影を落とし、初夏には花菖蒲が咲き誇ります。特に「上り藤」と呼ばれる珍しい藤の花は、宇和島の春の象徴です。
  • 借景の妙: 庭園の背後には宇和島城の山がそびえ、庭と城が一体となった見事な空間構成を楽しめます。

歴史を味わう「宇和島鯛めし」

城歩きで心地よく疲れた身体を癒すなら、宇和島が誇る郷土料理は欠かせません。
一般的な「炊き込み型」の鯛めしとは異なり、宇和島のスタイルは「生鮮型」。新鮮な真鯛の刺身を、出汁、醤油、生卵、ごま、薬味を合わせた特製タレに絡め、熱々の炊き立てご飯にかけていただく贅沢な一品です。

これはかつて宇和海を拠点とした水軍が、船の上で手早く、かつ豪華に食べた「伊予水軍飯」がルーツとも言われています。ひと口運べば、宇和海の豊かな恵みと、この地が育んできた力強い歴史の鼓動を感じることができるでしょう。

レトロな近代建築との邂逅

城下町を歩けば、江戸時代だけでなく、明治・大正期の面影にも出会えます。
例えば、「宇和島市立歴史資料館」。元は警察署として建てられた擬洋風建築で、そのモダンな外観は、宇和島が常に新しい文化を受け入れてきた進取の気風を象徴しています。

結び:何度でも訪れたい、静寂の名城

宇和島城は、決して派手な観光地ではありません。しかし、だからこそここには、失われつつある「城本来の静謐」と、土地の人々が大切に守り抜いてきた「伊達の誇り」が、当時のままの密度で残っています。

五角形の縄張に惑わされ、優美な天守に心奪われ、原生林の緑に包まれる――。
季節を変えて再訪するたび、宇和島城はまた新しい「顔」を見せてくれるはずです。

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