北陸の厳しい冬を幾度も乗り越え、戦国の面影を今に伝える福井県坂井市の「丸岡城」。
一時は「最古の天守」論争の主役ともなったこの城には、学術的な奥深さと、五感を揺さぶる武骨な美しさが同居しています。
今回は、城郭ファンなら一度は登り詰めたい、丸岡城の「浪漫」を紐解きます。
建築の白眉:野面積みの石垣と「石瓦」の意匠
丸岡城を訪れ、その天守を見上げた者がまず抱く感想は「無骨」の一言に尽きるでしょう。装飾を削ぎ落とし、ただ峻烈にそこに在る姿。その美学を支えているのは、足元の「石垣」と屋根を覆う「石瓦」という、二つの独創的な石の意匠です。
荒々しくも合理的な「野面積み」の妙
天守台を支えるのは、自然石をそのまま積み上げた野面積(のづらづ)みの石垣です。
一見すると乱雑に積まれているようにも見えますが、これこそが北陸の厳しい自然環境に対する先人の知恵。加工しない石同士の大きな隙間が天然の排水溝となり、福井の豪雪や長雨による水圧を効率よく逃がす構造になっています。
400年以上の時を経て、石の角が取れ、重厚な苔を纏ったその佇まいは、まさに「地から生え出した」かのような生命力を感じさせます。近世城郭の整然とした「切込接(きりこみはぎ)」にはない、戦国末期の荒々しい鼓動が、この石積みの隙間には今も息づいています。
日本唯一の「石瓦」が描く重厚な陰影
丸岡城を唯一無二の存在にしているのが、全国の現存天守でここだけにしか見られない「石瓦(いしがわら)」の屋根です。
通常、城の屋根を飾るのは粘土を焼いた瓦ですが、丸岡城では福井県特産の笏谷石(しゃくだにいし)が使われています。なぜ、わざわざ重い石を屋根に上げたのか。そこには北陸特有の切実な理由がありました。
- 凍てへの対策: 湿気を含んだ粘土瓦は、冬の厳しい寒さで内部の水分が凍結し、割れてしまいます。耐寒性に優れた笏谷石は、この問題を解決する唯一の手段でした。
- 独特の色彩: 晴天時には淡い青緑色を見せ、雨に濡れると深くしっとりとした黒色へと表情を変える笏谷石。その色彩の変化は、まさに「霞ヶ城」の名にふさわしい幻想的な景観を作り出します。
天守一棟に使われている石瓦の数は約6,000枚。総重量は約60トンにも及びます。これほどの重量を支えるために、内部の柱や梁は非常に太く頑強に造られており、外観の重厚感はそのまま内部の構造的な力強さへと直結しているのです。
観察のポイント:石垣と瓦の「共鳴」
現地を歩く際は、ぜひ石垣の根元から屋根の端までをひと振りの視線で追ってみてください。足元の荒々しい野面石から、頭上の整然とした石瓦まで、すべてが福井の「石」で構成されたその一貫性。
それは、地域の素材を使い、地域の気候に抗わず、共に生きる道を選んだ日本建築の、一つの到達点と言えるかもしれません。

内部に潜む実戦の緊張感:角度65度の「急階段」
丸岡城の天守内部に入り、見上げる者を一瞬立ちすくませるもの。それが、1階から2階へと続く、断崖絶壁のような急階段です。
階段という名の「垂直の壁」
この階段の傾斜は、なんと65度。一般的な住宅の階段が30度から35度であることを考えると、その倍近い角度です。
実際に足をかけてみると、階段を「登る」というよりは、梯子を「這い上がる」という感覚に近いことに驚かされるでしょう。
なぜ、これほどまでの急勾配が必要だったのか。そこには徹底した迎撃の論理が貫かれています。
- 敵の侵入を物理的に阻む: 甲冑に身を固め、武器を手にした敵兵にとって、この角度を迅速に駆け上がることは不可能です。
- 上階からの制圧: 階段の踊り場を極端に狭くすることで、攻め上がる敵は一度に一人ずつしか進めず、上階で待ち構える守備側にとって絶好の的(まと)となります。
現在は安全のために引き綱(ロープ)が設置されていますが、その綱を握りしめて一歩ずつ踏みしめる際の手のひらへの感触こそ、かつての武士たちが感じた緊迫感そのものと言えるかもしれません。
太い梁と「懸造り」の力学
急階段を上り、2階、3階へと進むにつれ、目に飛び込んでくるのは天井を縦横に走る巨大な梁(はり)です。
前述した通り、丸岡城の屋根は約60トンもの石瓦で覆われています。その異例の重量を支えるため、内部構造は極めて堅牢。太いケヤキの梁が幾重にも組み合わされ、天守全体が巨大な櫓としての強度を保っています。
また、天守の1階部分には、石垣の上に突き出した「石落とし」も備えられています。死角となる石垣の根元に迫る敵に対し、上から石を投げ落としたり鉄砲を撃ち込んだりするためのこの装置は、平和な江戸時代の象徴としての天守ではなく、泥臭い実戦を想定した「砦」としての証左です。
望楼から見渡す、防衛の要衝
息を切らして最上階の3階に辿り着くと、そこには四方に窓が開かれた望楼(ぼうろう)が広がります。
眼下に広がる坂井平野。かつてはこの場所から、敵軍の砂煙や狼煙をいち早く察知していたのでしょう。吹き抜ける風の冷たさと、視界を遮るもののない開放感。
急階段を攻略した者だけが味わえるこの景色は、まさに「城主の視点」。手に残る木の質感と、目に焼き付く平野のパノラマが、丸岡城という名城の多層的な魅力を完結させてくれます。
歴史の謎:「最古の天守」を巡る物語
丸岡城は長年、犬山城(愛知県)などと並び「日本最古の天守」を冠して語られてきました。しかし、近年の学術調査がもたらした結論は、この城の歴史に新たなドラマを付け加えることになりました。
昭和の常識を覆した「2019年の衝撃」
かつては、織田信長の命を受けた柴田勝豊が築城した天正4年(1576年)当時の建築であると考えられてきました。もしそうであれば、現存する天守の中で間違いなく最古となります。
しかし、2019年に坂井市教育委員会が発表した最新の調査結果(年輪年代測定や放射性炭素年代測定)は、意外な事実を突きつけました。
- 柱の年代: 天守を支える主要な柱の多くが、1620年代後半から1630年代、つまり江戸時代の「寛永年間」に伐採されたものであることが判明したのです。
- 再評価: この調査により、現在の天守は柴田氏の時代のものではなく、その後に城主となった本多氏の時代に建て直された、あるいは大規模な改築を受けたものである可能性が極めて高まりました。
「最古」が揺らいでも失われない価値
「最古ではない」という事実は、一見すると丸岡城の価値を下げてしまうように感じるかもしれません。しかし、城郭建築を愛する者にとって、それはむしろ逆です。
丸岡城の天守には、前述した「野面積みの石垣」や「望楼型天守」という、安土桃山時代の古い様式(古式)が色濃く残っています。なぜ江戸時代に入ってから、あえて一世代前の古いスタイルで建てられたのか?
- 伝統の継承: 焼失や倒壊した際、先代の意匠を忠実に再現しようとしたのか。
- 実戦へのこだわり: 泰平の世が始まってもなお、越前の地で牙を研ぎ続けた武士たちの気風の表れなのか。
最新科学が「年代」を解明した一方で、その「理由」という新たな歴史の浪漫が生まれたのです。
不死鳥のように蘇った「不屈の天守」
丸岡城の歴史を語る上で欠かせないもう一つのエピソードが、1948年(昭和23年)の福井地震です。この大地震により、国宝(当時)であった天守は石垣もろとも完全に倒壊しました。
しかし、丸岡の人々は諦めませんでした。倒壊した部材を一つひとつ丁寧に回収し、可能な限り元の部材を再利用して、1955年に見事に再建を果たしたのです。
現在の天守を支える柱の傷や継ぎ目は、単なる経年劣化ではなく、戦国・江戸・昭和という三つの時代を繋ぎ止めた「再生の証」です。謎多き建築年代に思いを馳せながら、その柱一本一本に刻まれた傷跡を眺める。それこそが、丸岡城を歩く醍醐味と言えるでしょう。
城下町歩きと季節の彩り
丸岡城の魅力は、天守そのものだけではありません。その足元に広がる公園や、かつての城下町の面影を残す通りを歩くことで、旅の解像度はぐっと高まります。
霞の中に浮かぶ「桜の名所」
別名「霞ヶ城」と呼ばれるこの城が、最もその名にふさわしい姿を見せるのが春です。
「日本さくら名所100選」にも選ばれている園内には、約400本のソメイヨシノが咲き誇ります。満開の桜越しに見上げる天守は、まるで花の海に浮かぶ軍艦のような美しさ。夜間にライトアップされ、夜霧の中に浮かび上がる幻想的な姿も一見の価値があります。

家族の絆を伝える「一筆啓上」の物語
お城のすぐそばには「一筆啓上 日本一短い手紙の館」が佇んでいます。
徳川家康の功臣・本多重次が、戦陣から妻へ送った有名な手紙――「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」。この「お仙」こそが、後に丸岡藩の初代藩主となる本多成重です。
簡潔な言葉の中に込められた、家族を思う深い愛情。城下町を歩きながらそのエピソードに触れると、無機質な軍事施設だった城が、どこか温かみを持った「家族の守り」のように見えてくるから不思議です。
旅の余韻:永平寺の静寂とあわら温泉の湯情
丸岡城の武骨な石垣と急階段に挑んだ後は、少し足を延ばして越前の深い懐に抱かれるのがお決まりのコースです。
禅の聖地「永平寺」で呼吸を整える
車を30分ほど走らせれば、曹洞宗大本山・永平寺の静謐な森に辿り着きます。
戦うための城郭建築とは対照的な、祈りと修行のための伽藍配置。樹齢数百年の杉並木に囲まれた境内に身を置けば、城跡で感じた心地よい緊張感が、すうっと静かな平穏へと変わっていくのを感じるはずです。
旅の終着点、あわら温泉の柔らかな湯
一日の締めくくりは、福井の奥座敷・あわら温泉へ。
明治以来、多くの文客に愛されてきた名湯が、城歩きで使い果たした足腰を優しく癒やしてくれます。
日本海にほど近いこの地では、冬なら越前蟹、春なら若狭の海の幸。地酒を傾けながら、今日見てきた「石瓦の青緑色」や「65度の急階段」の光景を反芻する……これこそが、大人の城歩きにおける最高の贅沢と言えるでしょう。